子どもは論理的

たまたま立読みした『不思議の国のアリス』が理屈っぽくって面白かった。魔法によって体が大きくなりすぎて、足が目から見えないほど遠くに行ってしまったら、足に言うことをきかせるためには、これからはわざわざ手紙を送らなければならないのかしら、というのは、なんだか落語のマクラみたいで、いい。


ふと興味がわいたので、放送中の『ザスーラ』を録画して、途中からみたのだが、これも面白い。子どもが思うことを先回りしているつもりの大人が、その願い事をやめろ! と流れ星に祈る子どもを制止するのだが、「それ」は大人の杞憂にすぎなかった、という展開があって、こういうのは、いい。


よきにつけ悪しきにつけ、子供というのは考えてない。というよりも、大人の考え、大人の計算というものこそが、実は、ルールに従うことをしか意味していない。その単純さを巧妙に覆い隠すことが、大人の存在意義だったりする。


こんなことを書く私は、だから、大人という制度よ、崩壊しろ、と思っているのである。ふふふふふ。


↓とてもいぢわるな私の引用


「答」とか「正解」とかそのような意味合いのことを言っているつもりはさらさらないのです。前にも言ったようにこれは(今の時点での)私の意見であり、いつ違うことを言い出すかも知れないと思っています。神様でもないのにそんな都合の良いものを私に求めるのは間違っていると思っています。http://pointbreak.blog66.fc2.com/blog-entry-6.html#comment


とっても「大人」。ポストモダン信者の典型的な逃げ口上。