改革しても成長するとは限らない

池田信夫先生が森永卓郎さん(かたっぽにからかい半分の敬称をつけてもう片方は呼び捨てというのも気がひけるので、おかしな敬称だが一応つける)を「最底人」と揶揄する理屈はわかるのだけど、では、森永さんが抱く問題意識そのものが間違っているのだろうか、というのは気になる。

もっとはっきり言ってしまえば、池田先生は、これから稼ぎの悪い人は本当にやばくなるよというべきなんじゃないか、と思うのだ。「改革なくして成長なし」というのは、恐ろしい意味もあるはず…。

たとえばテレビの電波の空きスペースを新規事業者に開放しても、ごく普通に考えて、これ利用者は金持ちだけしか集まらないだろ、と思うのだが。有料放送を多数契約していて、ちっとも見てない金持ちなんてごろごろいるだろうけど、貧乏人はそんなことしない。つまり事業としては成り立つだろうけれど、貧乏人に還元されるようなシステムになるはずない。

「改革しても成長するとは限らない」というのはもっとアナウンスされるべきだと思うんだけどねえ…。ああ、そのときは、その改革は間違った改革だったと言い訳するのか…。

私はごく普通に考えた結果、これからの日本人は老人の下の世話をすることに意義を感じるようにならないと、いろいろ面倒なことになると思っているんだが…。人口が減っていて、国民が第三次産業にしがみついていて、それまでの資源国が工業国へ進歩しているんだろ。じゃあ、結論ははっきりしているじゃない…。