アトム的存在

そう考えると、アトムというのは、ピーターパンであり、ピノキオなのか。どちらもディズニーが映画化しているのが面白い。

アトム大使』は連載長編作品だったので、この作品のアトムにはピーターパン性が薄いのだが、読みきり連載になってからの『鉄腕アトム』は、つまりはルーティンを繰り返すので、ピーターパン性が付与されたわけだ…。

ピーターパン性を支えるのが、時間というのは面白い。『鉄腕アトム』を支えたこの半世紀に及ぶ時間のことを思う。マンガ版、アニメ版、広告キャラクター、あらゆるバージョンのアトムが、この日本に遍在しつづけることで、私たちは、私たちのアトムのイメージ、そのピーターパン性をみずから補強したのである…。

手塚の精神的な弟子である藤子不二雄石森章太郎が、それぞれ『ドラえもん』『仮面ライダー』の作者となったのは、なるほど手塚の影響から脱するためだったのか、と思われるのだ。『ドラえもん』にはドラえもんの製作者は出てこないし、『仮面ライダー』は青年ピノキオなわけだ…。

もっと余計なことを言っちゃうと江川達也だ。江川が『ドラえもん』を批判し、『仮面ライダー』のオマージュを有志から糾弾されたのは、ともに有名な話で、ではその江川から一回り以上も下の世代である私が何を話せばいいのかという…、あはははは、である。