手塚治虫は手塚マンガの絵を描くのがうまかった

別言すれば、ふつうの絵は下手だった、ということだ。

テヅカ・イズ・デッド』の165ページに大城のぼるの『汽車旅行』が引用されていて、これは手塚以前にも漫画の映画的手法が存在した証拠としてあげられているのだが、これ、それ以前に、大城に的確なデッサン力があった証拠にもなると思うのだ。端的に、このマンガの作者にデッサン力があることは一目瞭然である。

その前の見開きの163ページに『新宝島』の引用があるので比較しやすい。要するに、そのクルマも、船も、手塚はごく幼稚な理屈で描いてる(手塚の自動車にたいする理解が幼稚だといいたいのではない)。実際に写生した絵をデフォルメしているわけではないのだ。船、浮きすぎである。

またこの『新宝島』の引用を、松下井知夫『八太郎将軍』と比較してもらいたい(141ページ)。駆けている人物のひざがみな曲がっているのがわかると思うが、『新宝島』の人物はひざが伸びている。要するに、ウソの絵なのである。走るときにこうやってひざを伸ばして走る人は少ないだろう。登場人物の、あくまで心理的な容態を、手塚は絵にしていたのである。

やはり手塚マンガは、戦後の混乱が登場を許した、一種変わった存在だったのである。