『ポニョ』について

「3つのどの『ポニョ』も、『ポニョ』という一つの人格である」という事態を、思わず笑ってしまいます。「なんでこんなことしたの?」と思ってしまいます。http://d.hatena.ne.jp/gginc/20080731/1217496366


せっかく星をいただいたばかりなのに難癖つけて心苦しいのですが(まあこれが私の性格なので…)、とくにそうは思わなかったのですよね。新生児と乳幼児と就学前児童とでは、それぞれヒトの生態は違うものではないですかね。新生児なんて、人間じゃないみたいだし、というのは友人の弁ですが…。

『ポニョ』は『トトロ』のリアリズムの反対を狙っただけのようにしか見えなかったんですよね。自然描写とか、子どもの異性への意識の目覚め(おくてなサツキに対して積極的なポニョ)とか、親子関係の描写とか、無口なトトロにたいして能弁なフジモトたちとか、どれも描き方が正反対。これはこれで面白いけど、『トトロ』を知ってる私としては、どうしても醒めて見てしまう部分が残る。

もののけ』以降の宮崎は、特に言いたいこと(共産主義!)がないという地点からものを作っているとしか、私には思えないのです。その推測があたっているとして、それはそれで構わないし、だいいちエンターテインメントなんだから、二時間、間がもてばいいだろうという、一見なげやりなような(私自身はそう思っていないのですが)感覚を私は持っているのです。

もののけ』:共産主義が破綻した後の自分の思想的混乱をそのまま表現した
千と千尋』:自分の中にある男性性、理想主義、ストーリーの構成感覚などを極限まで抑制してみた
ハウル』:理想は脇において、とりあえず(擬似でもいいから)家族の大切さを主張してみた
『ポニョ』:ほら、こんなに子どもってカワイイぞということを孫がいる老人の目線から表現してみた