文字は記号、絵は記号?

やはり手塚のマンガ記号論は納得できないのである。べつに手塚はそうは言っていないが、マンガの絵は文字などの記号とは格段にちがう「記号」であるだろう。セリフを翻訳さえすれば外人(の多くに)通じるのだから。

マンガの絵は、ファインアートの模倣なのだ。写真の模倣のようなものもあるだろう。マンガの絵が、ファインアートの勃興に優先して社会に流通することは、まずなかったろうと思うのだ。絵画というものがあるという知識を持たずに成長した人は、マンガを娯楽にできないのではないだろうか。絵画を鑑賞するよりは、マンガをながめるのが負担ではないという社会経験を経た人のみが、マンガを娯楽とするだろう。

目は口ほどにものを言う。手塚の発明は、目と口を記号化したことにこそあるのではないか。手塚が、人物の目と口を強調することで、戦後マンガは自意識を獲得したのである。夏目房之介は、手塚の目に注目しているが、口もそうだと思うのである。