私は無味乾燥な中道派

私は要するに人間主義がだいきらいなのである。たとえば呉先生のような…。人間主義者は人間の中身への興味ばかりがつよくて、人間の外側にたいする好奇心がうすいのである。だいたい好奇心のないやつは得々として世界を語るのですぐわかる。私はドーキンスに説得されたので、人々の対立を仲裁するのは科学であったほうがいいと思うのだが、やはりいまだに科学は余裕のある人のホビーという側面があるから、とりあえずは魔術的思考をとりのぞくことが先決だろう。

今のマンガがつまらないのはビゴーのようなリアリズムが欠けているからである。日本人を味気ないくらいにリアルに描いたと評判をとった初期の大友克洋も、ビゴーとくらべるとまだまだ手塚っぽいユーモアがのこっている。

日本人は人間主義に走りやすいのかもしれない。日本人の落としどころが人間主義なのかもしれない。理屈だけだと何かが足りないといわれるのが私はむかつくのである。何かが足りないというのは「俺がおまえ(私のこと)を信用する根拠・確信」が足りないということである、実のところ。理屈だけで現実が運行してなにがまずいんだコノヤロー、である。私があんたに求めているのは理屈を理解することだけであって、なにも私に帰依しなさいなんてこた要求してねーじゃねーかよ! と。…だんだん私の言う「人間主義」について感得いただいてきました?

『3時間でわかる民法入門』に「夫婦の一方が日常の家事に関して債務を負った場合、他方も連帯して責任を負い、債権者はどちらにも請求していけます」とあって、現代における結婚の外面的な意味ってこれくらいしかないよな、と腑におちたのである。「当事者に夫婦としての共同生活を送ろうという婚姻意思が本当にあることが必要です」とも書いてあるけど、こんな内面の問題、外側の私にゃ「見えない」んだからね。関係ない。

さすがに戸籍なんてやめちまえとまでは思わない。国の民を管理する方法としては有効で、民はやはり管理されなければならないだろう。それにしたって管理の基準は世帯にあるべきで、家族にあるとは思えないのである。その家族からははずれてしまった女を(記録上の理由で)名簿に残し、しかし現在の家族ではないからその名に×をつけるというのは明らかな女性差別ではないか。ただの便宜に不気味な宗教観念がからみついているのである。