タイムマシン

そういえば未読だったので読んでみた(角川文庫版)。

人肉食いが大ネタとして扱われていて、まあ百年前の小説だし、そんなものかとおもって読んだ。

次元の違いというのは、言われてみれば面白い。紙に描いたチューブの輪っかは、つまり、ボール(3次元)が公転運動しているさま(4次元)を、2次元におとしたものであるといえる訳だ。

いま『禅とオートバイ修理技術』も読んでいるのだが、冒頭のギリシャ人の時間感覚の話は面白い。時間は背後から流れてきて、前方遠くに去っていくものとギリシャ人は考えていたらしい。だから未来は見えないし、過去は知ってはいてもだんだんぼやけてくるというのだ。理屈はわかる。

つまり、時間と人間の主観は1次元のものであって、図示するのは難しいのである。1次元のものを図示するのは難しい(任意の線に点を書き込むくらいしかできない)。つまり、他人と共有することが難しい。他人は、自分と空間を共有していても、時間は共有していないからである。

逆に言えば、自己とは空間がなくて時間だけがある不思議な現象のことなのだ、ともいえる。起きて半畳寝て一畳とは昔の人はいいことを言った。なら、死んだらなん畳なんですか? と聞いてみたい。