『博奕打ち 総長賭博』

傑作と名高い作品をやっと見た。

…しかしまあ怖い映画だねえ。命のやり取りが心のやり取りみたいになってしまっているのだ。戦後はこうはいかないよというのが、つまりは『仁義なき戦い』ということなんだろうか。

もう自殺のことを考えていたであろう三島がこれをほめるのは当然というか、自分がおこすべき行動の見本とぐらいに思って魅了されていたであろうことは想像に難くない。

維新から敗戦までの、いまからは想像もつかない思想の異空間とでも名づけるべき過去のことを、ふと思ったりもしたのである。

私はいま『プロ倫』を読んでいて、五百年前のフランス人やドイツ人が自分の宗教を追い詰めていくさまを眺めているのだけれど、似たようなものを七十(四十)年前の日本人にも感じたわけである。思想を追い詰めた果てに、鶴田浩二は悟るわけだ。俺は只の人殺しだと…。