情報化の進展

戦後、80年代くらいまではお茶の間で、家族そろって知識を拡大していったのが、もう困難になってしまったという印象があるのである。

罵倒語というのは、ようするに「お前は間違っている」という指摘のことだから、言ってる人間は「正解」を背負っているわけである。価値紊乱の世界には、実は罵倒語というのは存在しないはずなのである。つまり、80年代は、その時代の若者たちがおもっていたほどには価値は紊乱していなかったのだ。

「うざったい」というのだって、90年代、ラジオ発、という印象があるが、まあ私なんかは直撃世代だし、よく使ったが、あんまり上の世代には理解されなかったのではないかと思うのだ。これはつまり罵倒語ではなかった、いいかえれば罵倒語になるエネルギーをもつところまではいかなかったのだ。それにしても、いちいち他人のあれこれを観察して、うざったいという名のフォルダに入れる知的作業そのものが、小賢しく、「うざったい」ことであった。

他人のあれこれを観察して物申すというのも、過去綿々とあったものが80年代に開花して、ネットに受け継がれたんだよね。無意味な文化だったが…。