池田信夫先生が妙なことを言いはじめている

全共闘運動が父殺しで、父殺しは生物学的にも根拠がある事実なのだそうだ(怪しげな話なのでリンクはしていない)。

「個体に一定の寿命があるのは、有性生殖を行う原生生物や多細胞生物だけである」と書いているが、なにを基準にして「だけ」というのかがわからない。人類がバクテリア並みの個体数を実現したら、人類はバクテリアと対等になるとでもいうのだろうか。

なぜ喧嘩をするのかという問題だって、よく考えたら分からないものである。縄張り争いなのか、優劣を競っているのか、それ以外の理由なのか。じつは案外不分明なものだ。一生喧嘩をしない個体だっていくらでもいる。

(私個人は、じつは、すでに回答を用意しているのだが。それは、個体の主観の中には、時間も空間も存在しないから、というものだ。ヒト個体は、他人と交流することによって、仮想の時間と空間を生成するのである。闘争も、偽の時間と空間なのである)

もともと生物に限らず、人類らの存続を度外視した場合、地球なんかはほっといたって地球であり続けそうなものだが、太陽は、つまり恒星は変化し続けるのである。太陽がしぼんでスカスカになったら、惑星だってそのままではいられまい。要するに、実は、ほっといたってそのままではいられない、のだ。

だいたい池田先生の主張によれば、経済学者の意義は、その時々でパンフレットを書くことだ云々と私は記憶しているが、パンフレットによって社会に何を訴えるのかと問えば、それは、なるべく大きな労力を使わずに新たな現状に対応する方法を説くこと、ではないのだろうか。なんだ、本質的に保守的なものではないか。労力の多寡に糸目をつけずに社会を変革することを訴えたら、それは経済学者ではなくて革命家のいいぐさになってしまうだろう。「2ちゃんねるのようなゴミためで騒いでいても、悲惨な未来は変わらない」とのことだが、日本語で書いてる以上(あの記事も英訳するのかな?)、2ちゃんねらーアルファブロガーとにどれ「だけ」の違いがあるというのかね。