現実が変わっていくから、脳も変わり、私の心も変わっていく

高校時代のノートを実家からもってきて懐かしく振り返っているわけである。写真も整理していて、ようするにタイムスリップ感覚を味わっている、というわけだ。実家にしまいこんでいた過去が、現実のものとして私の目の前に復帰し、私の心も過去に帰っているわけである。

しかし実際に過去にもどれるはずはないのであって、つまり、手がかりなしで想起しうるよりもはるかに大きい情報量で脳を刺激しているので脳が驚いているというわけだ。手がかりなしの想起こそが、通常は記憶とよばれる機能なわけであって、写真やビデオで、強力に脳を励起した結果の「記憶」は、実は記憶とは別の名前を割り振るべきではないのかと思うのだが…。

人間の脳を刺激する手段として、過去一世紀のあいだ絶大な成功を収めた映画という技術が、脚本(文字による文章)からはじまり、撮影・現像をへて、編集、録音と段階をへて制作されるという事実は、なにやら脳の機能と表象の歴史にかんして私たちに示唆するものがありはしないかと思うのである…。