『へばの』

雪深い東北に原発があって、地元の住民が、知識もないまま雇われて、放射性物質に被曝してしまったらしい。実際にそうなのかどうかははっきりしない。その男には許嫁のような女がいて、結婚し、子供をつくることを決めていたのだが、放射能の影響がうまれる子供におよぶのを恐れ、男は失踪してしまう。女は父と同居していて、父親も原発に勤めていた。孫ができることを楽しみにしていた父は、退職金で建てた豪邸のなかで寂しく娘と暮らしていた。男が失踪して三年すぎた頃、男が街に帰ってきたという噂を女は耳にする。男は、孤独にたえきれずに家族を求め、連れ子のいる中年女の亭主となって故郷にひっそりと舞い戻ったのだった。女の父も家族をもとめて、自分をすてた妻と子(女には兄か弟がいたことになる)を探しに東京へ出ようと思い立つが、その矢先に心臓の病で急逝してしまう。不安にせめたてられ、かりそめの家族にすがった男が、いま家族の絆のいっさいを失った女のもとへ、ふたたび訪れる...

訥々とした表現で映画が進んでいくので、以上のような物語を、自分で補いながら見たのだが、終映後、監督と話すことができて、それによると、製作上紆余曲折があったようで、見ただけでは矛盾にみえる点、説明不足にみえる点、いくつか残ったらしい。私も、終盤に、渋谷にテロが発生したらしきくだりは、それまでの展開と無関係のようで、上映中不審に思った。

ただまあ、現地の人を馬鹿にしているように聞こえたら、それは誤解なのですが、原発は、現在でも無謬であることを建前にしていて、金で地元民を押さえつけている。その社会的状況と、功利的判断をいっさい遮断して土地に生きて、かつ家族に閉じこもる人々の人生観とが、それぞれうまく示唆されているように思って、私には腑に落ちるところがありました。あの空虚な豪邸は、原発による富の象徴であると。上映後のトークショーで、監督は、先輩監督ふたりから、描写が足りない旨おしかりをうけていましたが...

「へばの」というのは、現地の言葉で、「じゃあね」というほどの意味。本作はポレポレ東中野でレイトショー公開中。劇中の、とくに中間のあたりのラブシーンは、澤井信一郎監督も褒めたくらいに情感漂うものになっています。興味のある方は、ぜひ足をお運びください。