「我思う故に世界あり」

猫猫先生が「馬鹿が意見するようになった」というのを見るたび、「それは情報化社会だからですよオ」などと気楽に構えていたが、自分の見知ったところで事故がおこると、さすがにあっけにとられてしまう。

映画芸術』がベストテンといっしょにワーストテンも選出していて、そのワーストの一位にえらばれた作品が、アメリカのアカデミー賞を穫ったことで、掲示板に挑発の書き込みが殺到した...

まあそれは仕方ないというか、笑うしかない出来事なのだが、きっと書き込む人たちは、映芸がマヌケに見えたのだろうな。

映芸の方は、マイナー意識をもってやっているのに、書き込む側にしてみたら、その意識がからかうに足る権威主義的なこだわりに見えてしまったわけだ。我思う故に世界あり、といったところだろうか。

なんで彼らは映芸本誌を手に取らないのだろうね。「まさか選評がネットで見れないなんてことはないでしょうね。結果はアップしているのだから」こういう書き込みに、私は悶絶した。立ち読みもしたくないのか。でも、反感だけは相手に伝えたいのか。

まいったなあと思う。害のないことだとは思うが、なんで読まないのに意見したがるんだろう。もちろん、そうしないと書き込み人が、安心できないから。補償行為。読書する、努力をする行為が、彼らにとっては不当なリスクとして了解されているのかな。

飢えた大衆に、パンが与えられると、大衆はまず通ぶる。これが1980年代だったということなのか。そして2010年代の大衆は、菓子パンを不満を抱きもせずにほおばりながら、モニタの向こうに「現実」を獲得するために奮闘する。こういう歴史のさだめなのだろうか。