猟奇には論理がない

嘘がないものにはすがすがしさを感じる。とはいえ嘘がないものは、だんだん退屈になってくる。

乱歩が、会話に退屈になってくると、会話の相手をいろんな手段で殺す空想をはじめて退屈を紛らわすという話を、エッセイに書いていたと思う(題名失念)。まさに猟奇には論理がない。(「目の前に相手がいる」+「自分は殺人の手口をよく知っている」)×「退屈」=「エンドレスな殺人の空想」というわけである。サドの「ソドムの百二十日」も、牢獄における退屈しのぎだった。