萌えてるひとを見て、ふつうの人が異様に思う理由は…

ジョジョ第五部のドッピオを見ているような気になるからだろう。小説家はダイアローグにすることで異様さを回避するが、しかし会話だけでも異様さは拭えないものなのである。セリフにみあったキャラクターの外面描写をおぎなうなりして異様さを回避しなければならないのに、最近の小説は異様さをそのまま読者に投げ出している。読者も異様だなんて思わない。小説を読んでいることにエクスキューズが必要な社会状況でなくなったからである。