思想という悪霊

コスタ-ガブラスの『背信の日々』と『ミュージック・ボックス』を見返す機会があった。

『Z』から『斧』まで、信念や思想が行動に結実する過程を冷酷に観察する作家という印象がある。『斧』で主人公が、人を殺したあとに混乱と興奮で震えがとまらなくなるシーンは、『背信の日々』で黒人をリンチして殺す場に居合わせた主人公がモーテルに逃げ帰ってガタガタ震えるシーンにも通じている。『ミュージック・ボックス』でも、父が凶悪なサディスト軍人であったことを確信した主人公が泣き崩れる。監督は、こういうのが好きなんだろうな。

養老先生が、知ることの恐ろしさということも思えという意味のことを言っていたけれど、こういうことなんだろうな。

死刑反対運動とか、100パーセントまでは賛成しないが、こういう気分になりたくないからというのもすこしはあるだろう。それはわかる。

背信の日々』で、黒人やユダヤ人を殺すことをためらわない男が、しかしナチスは駄目だと判断するのを見て、思想という営為の恐ろしさを思う。思想とか信念をもたなければ相応に生きづらいが、その分だけ現実からも遊離してしまう悲劇。