身体論とコンテンツ

図像や音響は、網膜や鼓膜への刺激の反映で、記憶はそれを保持する脳あってのことなので、ようするに、私が思っていた以上に、身体論の幅は広かったのだ、と。

唯一身体論がとらえきれないのは時間で、時間は、加齢のことを考えると、時間に関わる気もするが、加齢は解剖学というよりは生理学なのであって…。

映画は時間芸術といっても、時間が必須というよりは、十分条件として必要だというわけであって、ドラマや劇の「構成」には、時間が流れていない…。

身体論というのは、「である」ことと「する」ことを架橋するテーマとして、どんぴしゃの分野だと思うのだ。身の振り方ばかり考えているくせに、体の硬い現代人。

できないことをできるようにすることが、身体論のモットーであるべきで、できないことは、なにも身体操作にかぎらないわけだ。いや、考えられなかったことを考えられるようにすることや、言えなかったことを言えるようにするということは、じつは身体論なのだ。