『ブロークバック・マウンテン』

イニスが山を下りてからの牧場生活が、一切画面に出てこないのはあまりに人工的だなあと思った。

主演の二人は、時間の経過にあわせて、いちおう老けメイクをするのだけれど、ブロークバックの山の湖畔には、そんな加工をする必要がない。ここでは、時間が止まっているから。

「もちろん」このふたりは人生を誤っていて、イニスに興味を示したウェイトレスを彼が避けて、「俺は面白くないから」と言った言葉にウェイトレスが怒るシーンに、それが鮮やかに示されている。イニスが社会を見くびって身を隠すように生活してきた罰であるかのように、その直後にジャックが殺される。

なんだか男が避妊するかしないかばかり気にしてるみたいだが、この映画でも、イニスは避妊しないことがきっかけで離婚に至る。離婚しちゃ駄目だろうよ、女の方が100パーセント正しいじゃねえかと、画面の前でつぶやいてしまった私である。

よくできていることは認めるが、感傷を優先するあまり社会に無関心である。こういう悟ったような映画はよくないと思う。ジャックがイニスを諦めていたことを、彼の死後にイニスはジャックの実父からほのめかされるのだが、ここはわりとあっさりと済ましていると思う。しかしここは重大なシーンであるべきなのだ。その死後にジャックを認めることにして家族の墓に葬ろうとするジャックの実父と(ジャックは、すくなくとも自殺はしなかったことでキリスト教徒の面目を表向きは保ったわけだ)、かつてのジャックの友人に親しみをかけて息子を追慕していこうとするジャックの実母。各人の心が溶け合っていく感動的なシーンでは、ここは、ないのだ。各人のエゴの表出が、つめたいまでの諦念という名の空気にとりまかれているだけなのだ。

ひどく高慢な義父をジャックが一喝するシーンなんか、彼が社会になじんでいくさまを描くいいシーンだと思うのに、それ以上に転がっていかないし、いろいろ不満が残る。