『日本人ならこう考える』

たまに養老先生は右翼っぽいことをぽろっと言うことがあって、そういう細かいことが気になる私は、こういう本が出てなんだかすごく腑に落ちた気がした。ああ、やっぱりそうなるか、と。

アメリカ嫌い、中国嫌い、政治家嫌い、宗教嫌い批判、などなど。

話がかみ合っていないというのではないけれど、相手の話を直接うけずに別の話を切り出す箇所がいくつかある。これがなんだか面白い。賛同するのに遠慮があるところをやりすごしているようで。

渡部側が「量子的飛躍」の話(なぜ究極的にはタンパク質である生物が進化するのか)をもちだすとき、養老先生はお得意のサイズの話(分子について詳述すると細胞が巨大なものになってしまい霧のように取り留めなくなってしまう)を控えるのが、ちょっとおかしい。

なぜ靖国神社がいいのか、神道には宗派がないからだというのは、理屈が弱いような気がするが、ドーキンスも『神は妄想である』で仏教は宗教というよりも思想であるといっていたのに通じるような、遠慮を感じてしまう(渡部昇一神道の信者ではない)。神道に宗派がないというのは、天皇万世一系であることの言い換えでしかない。

解剖慰霊祭は国家の宗教行事ではないのか。養老先生の理論武装は、日本近世から解剖には慰霊祭がつきもので伝統である、現行政府が追悼施設をつくったらそれこそ政教分離違反、ヤジがうるさくなったらその年は中止する、というもので、さらに解剖する側の気持ちは外には分からねえよという啖呵がついてくる。しかし、解剖する者の気持ちを伝える話として読者に感動的なのは、生徒が強いられたわけでもなく一輪挿しを死者に供えた話の方だと思うのだ。私は解剖というものをしたことがない人間だが、この話には支障なく感動したものだが…。

日本人ならこう考える

日本人ならこう考える