「学び」と3K

キツイ、キタナイ、キケンのことを3Kというようになったのは1980年代後半だったか。小谷野さんが「学び」というのを批判しているのを見て、そういえば「気づき」という言葉遣いが1990年代くらいから発生していたなあと思った。

気づくことや学ぶことは、とりあえず3Kとは関わりない。しかし「学びの内容」でググったら、看護系の大学のサイトが上位にヒットしていて、こういう領域は軍隊とおなじだから、本当は猫なで声ではまずいんじゃないかと思うのだが…。

私は軟弱者だから、きつくない筋トレ法はないかと思っていたが、そんなものはない。つまり、キツくないと筋肉は発達しないのだ。人は排泄するし(キタナイ)、死亡率は100パーセントだし(キケン)、3Kはヒトの本質じゃないか。

要するに金があまっていたから、多くの人がキーボードをパチパチするだけで食えていたというだけだろう? もう消えちまったぜ、そんな金は。あとは養老先生じゃないが、石油が枯渇するのを待つばかり…。