「体面」そのほか

まえにも書いたが、体面って言葉はよくできてるなあ、と思うのだ。

男でいうと、顔をちゃんと整えているだけではダメで、体もスーツとか着なけりゃいけないということか…。

ふと思うのだけど、私は歴史小説と演劇が苦手だったのだけれど、これはルーチン性と身体性という点で、おなじ領域にくくれるものだったのかもしれない。歴史小説や時代小説のように、役割にはまる、役割をあたえる、役割をまっとうする、といった話が苦手なのである。前衛演劇でないかぎり、ひとつの芝居のなかでひとりの役者が何役もこなすとか、ふたりの役者が途中でたがいの役を交代するとかはないだろう(「入れ替わり」が主題となる戯曲では、そうでもないか。しかしその場合は、入れ替わりがうまくいかないことを観客が笑うとか、意外にうまくいったことに驚くとか、そういう内容になるのが一般的だろう。途中で役柄が平然と入れ替わって、しかもそのことになんの説明もない場合は、観客が不安になる)。

映画というのは、そういうところが演劇にくらべてルーズで、雑多な断片をまとめあげて演劇に似せているのである(スタントとか手元や声の吹き替えなど、舞台では難しいだろう)。下手な芝居はいくらでもあるだろうが、「死んでる芝居」というのはそれほどないだろう。役者が生きて舞台に立っているのだから。前衛演劇として、意図して演出するというのはあるだろうけれど(掛け合いのテンポを人為的に壊すとか)。