性的半幻論 その二

性幻想が、補強されたり訂正されたりする。だから性的半幻論なのである。

社会と個人の間には、階層があっても、言葉の壁はないことになっている。もし言葉が通じない個体が社会に紛れ込んだら、最悪、暴力によってその個体をこづきまわす事態になってしまう。自我と社会は、そういう意味では「なだらかにつながっている」。

いったん言語によって「耕された」身体どうしが、暴力によってではなく交流するのが、つまり性的関係ということになる。
ヒトは性的関係を他の個体と結ぶさいに言語を駆使しなければならず、この言語の使用がわずらわしい場合に、権力や金力を導入するわけである。

身体も、その運動も、言語によってコードされる。幼児は、自分の陰茎を「ちんちん」というものだと教わらなければ、「ちんちんでいたずらしよう」とも思わないわけだ。さらには「いたずら」という言葉を知らなければ、いたずらすることもできない。

身体言語というのもある。殴って当然という状況認識が、双方に共有されていた場合、どちらかが相手を殴る。その殴打は、ようするに「述語」である。なぐられて当然という状況の方が、「主語」なのである。

言語を使用するというのは、ようするに表現を相手に示して、その表現を相手に吟味させるということである。表現は、声から手紙やメールの文へ、そして自分自身の身体におよぶ。