二種類の読者

小谷野さんが、時代小説を飽きずに読む読者大衆に呆れている。読者に二種類あって、自分の幻想をかなえてくれる物語を書く作家の贔屓になる読者と、勉強と思ってその作家の断簡零墨まで追い求める読者とあるのではないか。橋本治は、学生の頃三島の全集を買い求めてあまさず読み続けたことをエッセイに記している。私も中高生の頃図書館の筒井全集で似たようなことをした。時代小説の読者は前者のような読者なのではないか。あと併せて思うのは、大衆小説や中間小説の作家の全集などは、相当に取捨選択が入っているのではないかということ。最近は自選集とか「〜の小説」とかなど、はじめから全集を謳わなかったりするし。