「後に正しくないことがわかったことを言う」ことは「間違ったことを言う」ことなのか?

上の現代思想増刊で「すべからく」の誤用を乱発しながら池田清彦がさかんにダーウィンは間違ったこともいったという表現をしているのだが、のちに正しくないことがわかる仮説を述べることは「間違ったことをいう」ことになるのだろうか。

いくら「構造」主義だからって、順序の観念がなさすぎる気がする。当時にあっても十分注意深ければ避けられた内容でないかぎり、後代の人間からそんなことを言われる筋合いはないだろうと思える。