もうひとりの「ダークナイト」

 ジョエル・シュマッチャーは、『バットマン・フォーエヴァー』や『Mr.フリーズの逆襲』も監督していて、『フォーンブース』も陰湿だったし、『オペラ座の怪人』もやっているしで、こういうセンスがあるんだろう。

 アンドリュー・ケビン・ウォーカーは、他人から傷つけられたから罪を犯しているんじゃない、俺はもともとこういう人間なんだ、と犯人のひとりに言わせている。原罪という考えを認めないわけだ。監督も名前からしユダヤ人だし、犯人の母がいそいそと宗教団体のバスに乗り込むくだりを描くなど、キリスト教への皮肉を隠さない。9.11直前の映画である。

 映画冒頭近く、帰宅する直前の車内で、ニコラス・ケイジがタバコを窓外に投げ捨て、口臭止めを口に吹きかけるシーンが、さりげないけど印象深い。善と悪の境界を意味するものとしてタバコが重要な小道具として駆使される。

 オープニングでもエンディングでも、ケイジ演じる主人公は感謝される。ただ、その意味が違うわけだ。ITを駆使してエレガントに依頼をこなし、理解ある妻のいる家庭まで持つ「新時代の探偵」が、ふとしたきっかけで横道にはまる。技術への不信がここにさりげなく表現されている。自分が登録した銃で人を殺すのか、できるならやってみろと犯人のひとりに挑発されて、主人公は彼を殺す。銃を逆手に持って、銃把で殴り殺すのだ。まるで頓知のようだが、被害者の母親が主人公へ届ける感謝も電子メールではなくて手紙なわけで、一貫している。

 他人が死ぬところを映像を介して見たいというのも、ようするに技術だもんなあ。そしてポルノもまた技術であった。技術にプロテクトされた人生は要するに孤独なわけで、ケイジは手書きの手紙で感謝されて慰められる必要があったのだった。