比率、大きさ、ミニチュア、

8ミリ映画でも、アップやクローズアップは十分に鮮明な映像になる。ロングになるほど画像がボケるのは仕方ない。黒澤明の現場で誰か8ミリで記録を残していないものか。パンフォーカスを実現する光量を8ミリで収めたらどういう映像に仕上がったろう。

 映像は現実ではない。と同時に現実から派生している。暗い室内に壁の子穴から光が漏れ入り外の景色が逆さになって壁に映る。この場合は映像だけれど、媒体はない。再現性はない。慣れてるから現実だと思うだけで、テレビの映像もいままでは小さいから現実的だった。ブラウン管の大きさには限界があったし、プロジェクターで投影すると粗がめだった。大画面になるからHDになったのか、その逆なのか。

 現実的であるだけで現実と看做せるように人間の脳は進化したのだろう。たしかに便利な機能ではある。比率については人間はかなりごまかしがきく。

 携帯電話でなんか誰もテレビを見ないだろう。そう思っていたらとんでもない、いまでは多くの人が電車でテレビ画面に見入っている。そんなの、1980年代から、ゲームウォッチ液晶テレビ(アナログ式で、当時はチャチな物という共通認識があった)もあったじゃないか、なにを驚く。でも、AMラジオを離さないオヤジみたいで物悲しいんだけど。自分だって高校生の頃は人並みにイヤホンをつけたままだったじゃないか。そうだけど…。

 夜中に歩きながら携帯でテレビを見る人とすれ違うたびに、えらい時代になったなあと思う。これは娯楽という事象を越えた何かではないか。