新約聖書も読んでる

黙っていたほうがいいのかもしれないがキリスト教系の大学を出ているくせに、いままで読み通したことがないのである。←無知の告白を自慢げにすることも、きっとイエスは戒めたことだろう…。

 山上の垂訓など、流れを通して読めばそれほど逆立した論理とも思えない。そのうち芥川や吉本隆明もチェックしなおさないとなあ…。

 簡単な話なのだ。

 だれでも自分がこの世の主人公だと思っていなければ自由に生きていくことができない。しかし社会はそれを許さない。その個々人の屈辱の収斂点に神が存在する。それだけの話なのだ。だからイエスの信者は、なによりもまずイエスを「主よ」と呼ばなければならない。とても主であるとは思われないような大工の息子を、だからこそ主と呼ばねばならないのだ。現世の権力を否定して、自己を生かすために。