神の資本主義

マタイ福音書25章の14節からを読むと、一見おやと戸惑うが、これは神のために利潤をもとめよという話なのだった。なにしろ地上の誰も父とするなというのだから、これは現世の資本主義を認めているわけではぜんぜんないのだ。

 それにしても西洋人って、近代の黎明からこのかた、辛かったろうな。キリスト教と近代思想って並立する余地がないのだもの。それを並立しうるかのようにふるまい続けた。そりゃおかしくもなるわ。