不明を恥じる

大好きだった『僕といっしょ』のあとに出た『ヒミズ』があまりにも不快だったので見限っていた作者だったが、『シガテラ』と『わにとかげぎす』はかなりの傑作だった(『シガテラ』のほうがとくにいい)。とはいえ、連載でこれを追いかけるのはたまらんな。『ヒメアノ〜ル』は完結してから読む。

 でもこの作者は、「普通に生きてくだけだったら自我の葛藤なんていらない」という真っ当にしてイヤ〜な話をしているだけなんだけどね。キャラ(つまり自我)の濃い登場人物たちのドタバタを通してそういうことを描く皮肉。気に入った異性とつがう。相手に別の異性がよらないよう見張る。加齢する。死ぬ。その子供が成長して気に入った異性と…。

もう自分を過剰に疑ったり… しつこく問いただしたり 「不幸の源だ」なんてののしったりしなくなった 不安定の固まりだった僕はもういない(『シガテラ』第6巻)

”虚栄心が強く” ”快楽指向で他者に同調的” ”すべてが成りゆきまかせ”……か まるでオレに足りないものをすべて指摘されたような言葉だ… ちなみにこれは昨日のニュースで裁判長が殺人犯にいった言葉… (『わにとかげぎす』第4巻)


 それにしても、『シガテラ』の谷脇は、猫かぶって(類型的な不良ではないことは読者に紹介されている)義肢の耳つければ就職だってどうにかなると思うのだが…。なぜかたくなにそれを拒むのか。入れ墨の方がアウトだろ。就職したくないいいわけとして耳の欠如にすがっているのだろうが…。

 『シガテラ』の荻野と南雲は結局わかれてしまうが、「荻野」と「南雲」がわかれない話として、富岡と羽田の『わにとかげぎす』があるわけだ。へんな者どうしが引き合う。孤独な者どうしが出会えて、喜びに小便を洩らしてしまうくらい(犬だけど)。もしかしたら富岡は脇役で、羽田が主人公の物語なのかもしれない。さいごのコマ、羽田だし。こういうへんな女でないと、主人公の男に見合わんよなあと作者は思っている、あるいは思いたい。また、『シガテラ』の飛下り男→『わにとかげぎす』の猟銃男、『シガテラ』の越君→『わにとかげぎす』の斉藤君など、変奏も多い。羽田じたい、『シガテラ』の南雲と、終盤に突然登場した村岡の合成なんだよね…。