寅次郎はあつかましく、一般人はつつましい…わけではない。

一般人だって局面によってはあつかましく出なければ、一般人でい続けることさえできない。どこで出て、どこで引くかの基準が寅次郎と「素人衆」では違うわけだ。まずは幼少期に一般人の世界からはじき出された寅次郎がてきやとして自己形成した、つまり世間と寅次郎はいちおうの和解をみたという、この一連のながれを、『男はつらいよ』は、毎回(画面外の知識として)しつこく確認する、1970年代の(だれもが東宝サラリーマン喜劇のような会社員になれるわけではないことを知った)、日本の家族についての物語だったのである。しかし日本は高度消費社会をむかえて『男はつらいよ』の物語を否定したかというとさにあらずで、「なんだかよく知らないが懐かしいもの」として位置づけ直したわけだ。この懐かしさは比較的あたらしい感情というわけだ。なんだかよく知らないことを懐かしめるわけはないのにね。日本社会はまたひとつ妙な空気を醸成してしまったわけだ。