ベケット以降?

言葉には魂がこもっていなければならないのを、魂なんてないことにしてしまったから、魂を主体におきかえたわけだ。民主主義。みんなの総意によるイデオロギーを糧として主体として立ち、言葉を発する、指示をあたえる。

 言葉は言葉でしかないから、それを「魂がこもった言葉」に復原するために読者は精神力をつかわなければならない。

 あまりにも「くさい言葉」を忌避しすぎて、いまのように言葉をめぐる状況がぐずぐずになってしまった。言葉自体がぐずぐずになったわけではない。言葉はもともとモノとしてゴロッとあたりに存在していただけだ。もしかしたら、べつに臭くもないのに、くさいくさいと嫌がっていただけかもしれない。狂人としての現代人…。

 私は主体ではありませんよと、一生懸命主張している(!)現代人…。