罪の意識のない世界

せめて罪の意識などという余計なものは受け入れないですませるようにするというのが、われわれのとるべき方向であると思っている(http://d.hatena.ne.jp/jmiyaza/20100221


他人を知ることがなければ彼我の差を考えることもなくなるのだから、さしあたっては目を潰してしまえばいい。盲人はそうでない人間よりも罪の意識は低いと(調査したわけでもないのに)思う。人の言うことに従うことを「耳が従う」とも表現する。他人に従う人が罪の意識を感じることはまれであろう。

ある種のひとは自己言及というよりも言及することそのものに魅了されてそれがやめられないのだろう。やめられないという消極性がみっともなくて「自己言及」などといいつのったりする。一般人は「自己言及」などといわれても、とっさにはなんのことかわからない。「獲らぬ狸の皮算用」のことですよ。

罪の意識とはようするに「言葉」を別の表現で言いかえたものである。罪の意識にとらわれるとは、言葉の世界にとらわれることだ。下層の人間も、上層の人間も、それぞれの仕方で言葉にとらわれる。それが、つまりは人「間」になるということだ。言葉が通じない世界に、たいていの人は堪えられない。