「もともとあおられる業があった」

http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/sapio-20100208-01/1.htm
どうもな。

私はもっと岸田秀的にかんがえてしまう。アメリカに負けた日本がどう生きるべきかを見失っていまの現状があるだけなのではないか。スペインに滅ぼされたマヤ民族みたいに、あるいは植民してきたイギリス人らになかば滅ぼされたネイティブアメリカンのように、わたしたち日本人もなっていくだけなのではなかろうか。戦争に負けてまだ百年もたっていないのだ。

呉智英的には「言説にあおられて道をふみはずす人」というのが、ことのほかリアルな存在にみえるのだろう。しかしそういう愚民だって「業につきうごかされて」そういう愚行を演じているだけかもしれないではないか。言論を生業にしたら家族に累が及ぶやも。そんなのはあとづけの言い訳でしかないだろう。そういう物語を呉智英は読者に信じてもらいたいのかもしれない。私はそうは思わないが…。声が甲高くて、時計などの無生物の収集にはまったり、性格が悪いからなるべくしてなったんだろうよと…。

あと、世間知というのも、あるようでないもののひとつだろうな。世間など、日々あらたに発見していくものでしかない。今日も私は見知らぬ道をあるいて思わぬ発見をした。