洒落と比率

私は基本的に駄洒落ばかりの人間なので、つい洒落も地口と混同してしまうが、なにか対象をみつけてきてそれを表象する、しかもわざとつたなく表象する、これが洒落、洒落こむというやつである。駄洒落は、言葉の上だけで、なにかをミミクリするから、人によっては疲れさせる。


乙だね、の、乙は、これ、わざと二番目、甲乙丙丁の乙の線を行くことが、カッコイイ、だから、乙だねというわけだ。洒落は乙なものなのだ。どうしても甲を、一番を、本物を目指すのなら、洒落ている場合ではない。


私は幼いころから映像の世界にどっぷり浸かっていたから、映像が冗談なのだ、洒落なのだ、乙なものなのだ、ということがわからなかった。しかしこの年齢になってくると、映像が本物となんの関係もない、たんなる技術なのだということが、いやでもわかってくる。


世界とは、「おうおうにしてこちらの縮尺や比率にあわせてくれないもの」と呼ぶこともできるだろう。間尺にあわない、だから怒る。え、そんな権利がお前にあるのかよ。おまえは世界と契約を結んだとでもいうのかい? 世界は契約を不履行したから相手方である自分に怒る権利があるとでもいうのかい?