わたしは何々ゆえに、わたしである

「ローマ信徒への手紙」を読みながら寝たのだが、なんだかペテロの時点で「我思う故に我あり」と言っていたんじゃないかなあと思った。デカルトも結局はキリスト教だった、というより、キリスト教がよほどよくできていたからデカルトも強いてはこれから離反しなかっただけなのではないかと思うのだ。「我信ずる故に我あり」が千数百年経って「我思う故に我あり」に変化しただけであろうと。すでにペテロの時代に、富も法も地位もあった。しかしそれらは「我」の根拠としては認めえない、と。


ついおととい養老先生の『運のつき』を読み返したのだが、なにかを知っていてもそれを書かない人は書かないがしかし私は書きたいのだ、という含みをもったくだりを読んで、ふと私は胸を突かれた。養老先生もキリスト教と格闘して、傷がかさぶたをつくるように、自分を成り立たせたのだ。書きたいというのは何を、それは「我」の思考と感情だ、それを肉体の死後にも世界に留めておきたいからではないですか。そうでしょ。