『誰かが私にキスをした』

恋愛を通して、しかし、成長にあわせて自我を再編成していくことを描いた映画なのだろうなあ。過去にこだわったマツケンが結局は振られ、消えた過去を堀北に無理強いしまいと堀北からつかずはなれずの距離をとっていた手越祐也が選ばれるのはそういう意味であろう。父の再婚に拒否反応を示したあとに葛藤を越えてそれを受け入れるあたりもそうなのではないか。再婚相手の娘たちと話すシーンに顕著だったが、堀北は自分の過去というよりも、自分の無意識(それまで気づかなかった自分の側面)を発見したのだ。

最初のアメリカ人恋人が堀北のセミロングにこだわったのも、なあんだ、これは単に外人が持つオリエンタリズムとして有りがちな日本女の黒髪フェチが彼にもあったということに過ぎないのだろうか。

うまいなと思ったのは、父親に堀北が母親が死んだ事すら忘れたのかと心配させておいてそれがウソだったというくだり。堀北には父親に対しての甘えと同時に、父親からの自立心があることを示しているし、これ、堀北が観客にも距離を置いているという表現になっている。ある程度以上に感情移入させないということが、成長を描くことの秘訣でもあるだろう。物語の登場人物が自立するということは、観客からも離れていくことであるからだ。監督はその秘訣を守っているわけだ。