小説「失われた男を求めて」

昭和の終わりか平成の初めの頃、男は事務所のワンルームマンションで、灰皿の中身を三角コーナーにあけて、水を注いでいた。吸い殻の一本にまだパイプがささっていたのに気づいてこれを外した。透明なプラスチックでできていたパイプはヤニで黄褐色に濁りフィルターも茶色くなっていた。禁をやぶって応接セットのソファで女を抱くようになって数日がすぎ、男は汗やその他のにおいが生地につくことをだんだん気にしなくなっていた。女は帰っている。自分も帰宅しようと思って留守番電話のカセットのセッティングを確認して上着を着てからテレビを消そうとリモコンをブラウン管に向けたら、画面にビートたけし立川談志が映っていた。彼らは猥談に花を咲かせていて、その内容は、なぜ男は他の男をたくさん経験した女をいやがるのだろうという疑問から、最近の若い女たちの奔放さに感嘆したり、果ては臨終で女の性器を見たがる男の性(さが)についての不思議にまで及び、話題は尽きないようだった。臨終に男の陰嚢を見たがる女はいないということで落ちがついて、男もテレビを消した。玄関脇に洗濯機があって、しかし男はそれを使っていなかった。洗濯機の上に紙袋が置いてあって、それを包んでいるビニールの下でプリントされたスヌーピーと黄色いヒヨコのようなキャラクターが男に微笑んでいた。男は息子のことを思い出した。紙袋の中には洗い物が押し込んであって、女に洗濯を頼んでいたのだが女は忘れたか嫌がったかしたらしい。しかたなく男は荷物に紙袋を加えた。室内の電気のスイッチを切る時に、玄関の照明が暗いような気がして、男は明日電球を買ってこようと思いながらドアを閉めた。ワンルームマンションは東京都の隣県にあって、これから男は車を運転して東京郊外の自宅に戻る。(続く)