30歳の橋本青年は、サラリーマンをやる元同級生たちに、お前らは何様のつもりで男をやっているんだ、と叫んだ、らしい…

小原宏裕監督作『桃尻娘』を私は見ている。それにちょい役で出演した橋本青年は歴然と素人だったが、クイズ番組やら全共闘回顧番組(!)やらに出ていてテレビ慣れはしていたらしい。たまたま気の優しい大男だった橋本青年は女に強く出ることができなかったか失敗したかして、その心痛をこじらせてしまったのではないだろうか、というのが、『秘本世界生玉子』を読んで、さらにあの橋本像を思い出した上での感想である。この本で橋本は一貫して「お前は何様のつもりで男を演じているんだ」と、世間一般の男(しかし誰のことなんだ?)に向かって毒づいている。しかし演技する側の立場からいわせてもらえば、そんなに率先して男という役から自由になってもらってもかなわない気がするのである。かつて演劇青年だった筒井康隆は、「演技の先」に魅せられて、しばしば虚構の約束事をやぶってかえって小説をつまらなくしてしまうが、橋本治は別種の問題を抱えている。端的に言えば演技ができないのだ。母(源氏物語)や父(平家物語)の保護する安全圏では、のびのびと語れるのに、自分の物語(人工島戦記、少年軍記)をなかなか読者に引き渡せないことの裏側にはそういう事情があるのではないか。