常体とは何か

もちろん江戸時代にだって敬体と常体はあったのであって、しかし常体と独り言はどう違うのだろう、あるいは違わないものなのかなどと私は疑問に思う。昨日は古本屋にあった『おくのほそ道』と『世間胸算用』を立ち読みしてみたのだが。読者に語りかけることは作者が自身に語りかけることにほぼ等しいわけで、キリスト教文化圏のように神を設定せずに、それこそ『サマーウォーズ』で永井一郎が滔々と先祖の勇ましさを謳いあげていたように(しかしあれは誰に向かって話しかけていたのだろう? 観客ってのは無しだ)、日本人は先祖に向かって語りかけるのだろうか。常体とは何なのだろうか。