『約束された場所で』

出た当初も読んだはずだが、気持ち悪くて、オウム信者たちの発言部分は流し読みしかできなかった。いまはもう時間が経ってしまっているから、わりとふつうに読めた。自我っていうのは(慢性の)病みたいなもので、ようするにあることははっきりしているのに見えない。見えないものに振り回される人が、たとえば新興宗教の信者となって日常生活から離脱する、というひとつの具体的な行為を採ることで、自分が見えないものに振り回されているという観念的状況を視覚的かつ社会的に明瞭に表現するわけだ。宇宙の真理ともいいかえられるような何ごとかを言語でもって確定することに急な人たちは、男っぽいというか、ようするに馬鹿にみえる。村上がすぐ後に「言葉は石になる」と書く(短編「タイランド」)気持ちも分かる。幹部たちはいい人だけど末端信者はキモいと、率直なことをいう女性の元信者には笑った。