ヴァージニティとイノセンス

イノセンス』の登場人物たち、バトーも素子も、当然のことだがヴァージニティにはこだわっていない。これも当然ながら子持ちのトグサも同様。彼らは交わりの段階を過ぎてしまったから、もういちどイノセントで単性的な時間を迎えているのである。『ライ麦畑』についてやたらに語られる「イノセンス」という言葉だが、どうもこれは「ヴァージニティ」と言いかえたほうがよいのではなかろうか。