『全身小説家』

じつは高校生の頃、旧ユーロの公開初日に行って、原一男の舞台挨拶も見ている。次回作にフィクション作を考えてるなどの話をきいたことをおぼえている。あれが17年前か…。

作品の内容をだいたいおぼえていた。私は世評でみなが驚くほどには井上の経歴詐称に感じるところがない。原もそう思って経歴に関する検証シーンを後半にまわしたのではないかと思う。30を過ぎて再見して思うのは、前半の、文学伝習所のご婦人方の井上への熱いまなざしのほうで、これはまだ童貞だった高校生の私にはわからなくってもしょうがない。

面白いのは戦後から1960年の安保闘争までだったんじゃないかなと最近とみに思うのだ。当時における「未来の表現」として東宝の特撮映画を位置付けたらどうかと思うのだ。吉田喜重にとっての「未来の映画」として『鏡の女たち』を考えるように。で、原にとってももちろん井上にとっても、「あのころのこと」は自明のことだから、この映画ではとくに「あのころ」について注釈がないのだが、そろそろそれが必要な時代に突入しているだろう。1968年を回顧する人々が、還暦を迎えているのだから。

おととい『極私的エロス 恋歌・1974』を見て、ふと懐かしくなってビデオを借りて見た次第。