しかしだね!(大について)

大デュマ、小デュマの区別は親子だから違和感ないけど、兄弟で大だ小だってのは違和感ある。なんで兄谷崎、弟谷崎ではないのか。

まあ大谷崎を特に立項して、「小谷崎」という言葉はことさらに流通はさせなかった、ということもありうる。そういうセンスは、日本人にはあると思う。しかし、潤一郎と精二を強いて対比して記述するシチュエーションが、そうそうあったとも思われない。

http://kyosan.blog18.fc2.com/blog-entry-30.html

「大トルストイ全集」なんて、あったらしい。トルストイの息子にも兄弟にも、著名な作家は、いない。戦前の日本は、大日本帝國だった。なんにだって「大」をつける、おおげさな時代にすぎなかった。そうもいえはしないか。