ゴシップ的日本語論

ゴシップ的日本語論

中央大学って昔は神田にあった。のだそうで、これはなんだか凄く腑に落ちた。




あと、どれどれとおもって小林秀雄の講演を探したら、あった。




…さういふヘンテコリンな、人の風上に置けない言葉の使ひ方をする人が使ふものがチョンチョン括弧…
(単行本版31ページ、「日本語があぶない」)

なんと生まれて30年以上たってはじめて、ここを読んで、「風上に置けない」という表現が「臭い(くさい)」を含意することを悟ったのである。観念連合が心の中に形成されないでいた! 情けない。「尊敬できない」という意味だと、なぜかしらないが思いこんでいたのである。

しかしそうなると「風上に置けない」は、どういうことなんだろう。私はこっちでおぼえていたのだ。「風下には置けないし、風上にも置けない」ってこと? 私は勝手に「自分たちに吹いてくる風の、風よけのために、下の身分の者を風上に置いておく」というイメージでこの表現を把握していたのである。だから、風上にも置けないとは、下僕以下の存在を指す表現である、と。