『インセプション』

インセプション
切ない話だなあ。そういえば2010年のこんにち、私たちはほどよい具合に「マトリックス」を忘れている。忘れきってもいない。あの映画を見て、自殺した子供たちがいたらしい。そういうことを思い出した(ただ自殺しただけでなく、コロンバインのように、他人を道連れにして、その上で自殺した子供たちも)。

私がよく唱えるマントラ。何を知っているのか、名前を知っているのか、事実を知っているのか、人を知っているのか。

子ブッシュは、伝えきくところによると、父親へのコンプレックスに悩んで、しかし、父の轍を踏んであのような大統領になったらしい。この映画のキリアン・マーフィーを眺めながら、子ブッシュのことを思った。

作を経るごとに、監督の女性蔑視が巧妙になっていく。女の観客は、怒っていい。子供を捨ててまで夫との純愛、狂恋に生きた女。ファンタジーにも、ほどがある。しかも、そういう女に育てたのは、男の力量(インセプションを仕込むテクニック)なんだとさ。

セックスと死。たいていの人間は、このふたつにおののく。自分はこのように存在しているのに、眼前のこの異性は、この死体は、自分のようではない。このギャップに、人はおののいて、あらゆる倒錯を構築する。心の中から。アイデアをたぐりよせて。アイデアこそ、最大の寄生体。