清水真木『友情を疑う』

ネットやブログに批判的な著者の本をブログで賞賛するのも妙なものだが…。

私流に噛み砕いていうと、こういうことだ。身分制度がカッチリしていた過去のころには、友情というのは、同僚にたいする感情のことだったり(キケロ)、公務をはなれたつきあいにおける一心同体の快さ(モンテーニュ)のことであって、それには社会体制を覆すようなよこしまな種類のものもありえた(ブロッシウス)。

しかし、封建制がすたれ、身分制度もなしくずしになってくるにつれて、友情の根拠を社会的活動にもとめることが困難になってくる。だからルソーは、貧しいもの、病んでるもの、満たされないもの、それらに寄せる同情や憐れみを友情の根拠にすえる。友情どころか、友愛。愛するしか対応の仕方が思い浮かばないような相手を、だから、愛せよ、お前は、というわけだ。呉智英が喜びそうな論旨だな。

いちばん友情についてまっとうなことをいっているカントは、しかし、ど田舎に引っ込んで本を読んでいる地味な生活とバーターで、穏当な認識を手に入れた。なにが幸せなのかはわからない。この本は友情論であって、幸福論ではないから。

できるかできないかではなく、意欲があったかどうかで価値が計られる社会は、著者とおなじく、私も好まないものである。しかしねえ、今までの社会が、ほんとうに能力で人を選別していたシビアな社会だったのかどうか、私は知らないからねえ。いままでだって、いいかげんなんじゃなかったの?

小谷野さんのいうとおり、導入がヘン。小学一年生の「仕事」は、まずは学校という環境に慣れてもらうことだろう。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shuppan/sonota/990301b/990301a.htm

友情を疑う―親しさという牢獄 (中公新書)

友情を疑う―親しさという牢獄 (中公新書)