近世以前の日本の儒教

「教養」関連。あまり江戸時代以前の儒教って聞かないなと思っていたら、やはり仏教のサブカテゴリだったらしい(http://ja.wikipedia.org/wiki/儒教#.E6.97.A5.E6.9C.AC)。

「仏教」というと、なにか日本にもそれなりに確固として根づいた文化である気がしてくるが、キリシタン蘭学以前の日本にとっては「立派な外来文化」だった。ロック音楽を日本人が、王様から灰野敬二まで幅広く解釈し受容したように、日本仏教も千年ほどの解釈期間をおいて、各地域の役所のようなものに、つまり日本の公になった(江戸時代)。日本のロックだって千年もたてば、十分に公となるだろう。

大正教養主義というのも、信仰心との微妙なダンスを、当時のエリートやスノッブ達が踊っていたというだけの話かもしれない。宗教を信じるのはダサいが、文学を信じるのはダサくないかも。文学者はいても文藝者はいなかった。文学者なんかより、江戸時代の俳諧師のほうがまだいさぎよい。近世以前の日本人達は、信じもしない対象を懸命に知ることに努めようとはしなかったろう。昔の人間のほうが、脳の使い方は効率的だった。