「母子寮前」(『文学界』)

自分の育った家庭と、いろいろ対比しながら読んだ。

ちょっと驚いたのは、小谷野さんが交通事故に遭っていたことで、これは読んだおぼえがあるから、はじめて明かされたことではないはず。それで、なにに驚いたのかというと、種と仕掛け、ではないけれど、反禁煙ファシズムもクルマ嫌悪も反精神分析も、ちゃんと小谷野さんの実生活に根拠があることに私は驚いたのである。

医師がひな形にのっとった会話・説明しかしないので、患者の側がもどかしく感じるというのは、私にも覚えがある。「患者にどう接するべきなのか、マニュアルがあるのなら、まずそっちをこちらに読ませろよ」といいだしたくなるときもある。

要するに「透明化」と「役割分担」とは、必然的に齟齬をきたすのだが、社会がそれから目を背けようとしているのだ。移行期というか端境期がつづいている。医師がたいして尊敬をはらわれない職業となるまでには、さすがにまだしばらくの時間がかかることだろう。口頭で指示を伝えることで、「医師の威厳」を保とうとするT医師というのが印象的だ。ひな形を印刷した小紙片を用意して、用件の内容を選択するチェックボックスにレ点を入れ、時間を書き込めばいいだけにしておけばいいではないか。

まさに1980年代に、社会の情報化のレヴェルが変わったのだろう。安保闘争の頃は、成長した子供は情念で親に反抗したのかもしれないが、この世代からは、情報で親を圧倒するようになった。かつての言葉には忠孝という倫理の裏づけがあったが、それが情報にかわったのだった。言葉をうばわれた人間は、鵺にでも変身するほかない…。男は黙ってサッポロビール養老孟司の好きなコピーだそうだが、年をとって黙ってられなくなった男が、断片的にいろんなことを言い出すということはある。ジャワティ三船敏郎のように。私にとっての、三船敏郎は、こちらのCMで見られるような「支離滅裂なおじいさん」だった。私が『七人の侍』や『用心棒』など見たのは、その後の話であった。