アナログとデジタルの共存時代

そういえば、再生音声なんて、ノイズまみれなのが当たり前なのだった。技術会社がノイズを低減した音を開発して、それを「ちゃんとした音」だと思う文化を、受け手の側で蓄積していった。

むかしウェスタンショーで、爆発のアトラクション(ダイナマイトが爆発した設定で、実際にはなにが爆発したのかは知らない…)を見たけれど、まあ鼓膜のひりひりすること。映画の爆発音は、だからリアルな音ではない(実際の爆発音を収録したのだとしても)。心理的に操作された音だ。NHKがやたらに戦争の番組をいま流しているけれども、高射砲やら戦車砲やら連射ロケット弾やら原爆やらに、いちいちシンクロした音声が付けられていて、かえって笑ってしまう。まめなことやなあ。現場に録音部もいたのかいな。

映画は、静止画が一定の速度で送られるという意味では、そこだけは初めからデジタルだった。ストップモーションの画では、フィルムは止まっている。そんなことはない。ヴィデオは、VTRならば画面をすきに飛ばすことはできないけれど、巻き戻し/早送りによって、DVDの動作と近似の状況は実現できていた。FF/RWDの機能が発想されなかった平行世界を思うと、なんだか可笑しい。フィルムではサーチしながら送るということは、容易ではない。

完全にデジタルになるなんてことは、実はないんだなあ、ということを思う。私たちは物理的存在なのだから、そういえば、そんなの当然の話であった。